日本列島の北は岩手県から南は鹿児島まで、全国にくまなく存在する鍵穴のような形をした「前方後円墳」という古墳・・・なぜこのような形をしているのか、諸説あり、未だに謎のままです。
 丸は「天」、四角は「地」を表すという当時の中国の「天円地方思想」を体現したものという説、壺であるという説、男女の交合を表したという説など、多くの考え方があります。

  しかし、この問題を考える際に、まず、前提としなければならないのは、古墳時代当時は、飛行機もドローンも存在しないのですから、上空から見た前方後円墳の形を見ることはできず、その姿を論じても意味がないということです。
 この大事な点が、議論の出発段階で見過ごされているように私には思えてなりません。
 
では、一体当時の人々は、前方後円墳をどのように見ていたのでしょうか・・・また、どのように見えていたのでしょうか・・・それはズバリ、横から、つまり側面を見、また、側面を見せていたのです。

 
 右の写真は、「古墳築造の研究」青木 敬著(六一書房)の100ページに掲載されている代表的な前方後円墳の側面図です。
当時の人々は、前方後円墳をこのような姿で見ていたのであり、また、前方後円墳を造る側も、このように見えることを念頭に築造していたものと考えられます。

 では、この姿、皆さんには、何に見えるでしょうか?
 私には「蛇」に見えます。
 
蛇がとぐろを巻いている姿に見えますが、いかがでしょうか?
 吉野裕子氏はご著書「蛇」(講談社学術文庫)の140頁で、次のように論じておられます。


 「大王は竜蛇の子孫であり、祖神の形とは竜蛇である。前方後円墳のそもそもの由来は、竜蛇の頭とそれにつづく尾の造型ではなかったろうか。もちろん後方の円部が『頭』、前方の長方形部分が『尾』である。水は竜蛇の潜むところである。古墳の周囲に必ず水濠がめぐらされているのも同じ意図によったものと思われる。」

 私はこの説に基本的に賛成です。
 古来より、奈良県の三輪山の神様が蛇であると伝承されていることや、神社のしめ縄やお正月に飾る鏡餅が蛇を模していると言い伝えられていることも、この説を補強するものと考えられます。

 ただ、私は、後円部はただ、単に蛇の「頭」を表したものではないように思えます。前方後円墳には「段築」といって、段々(テラス)が造られています。これは、蛇のとぐろを巻いた姿を表しているように私には感じられるのです。
 
 前方後円墳は、瀬戸内海を経由して日本列島中心部を訪れ、さらに大きな河川や街道を通って各地へ移動する大陸や半島の人々の目を意識して、築造されていることが、その立地や築造方向から明らかとなっています。それらの人々にとって、蛇がとぐろを巻いた姿を模した前方後円墳が日本列島各地に大小たくさん存在している様は、さぞ不気味であったことだろうと思います。

 当時の日本列島の民は、先進的で、脅威でもあった大陸や半島の人々に対し、蛇を模した前方後円墳という統一規格の大きな営造物を見せることによって、その技術力と結束を示し、対抗していたのではないかと思うのです。

 

1-私の趣味は 考古学
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